2013年6月27日木曜日

K.297 (300a) 交響曲 第31番 ニ長調 「パリ」

1778年初夏、パリ滞在中のモーツァルトは3年半ぶりに交響曲の作曲をしました。
「コンセール・スピリチュエル」の支配人ジャン・ル・グロから依頼で作曲されたのがこの交響曲です。
パリ訪問前に訪れたマンハイムではモーツァルトは多くの音楽的刺激を受けていました。
管楽器による色彩効果、ダイナミックな表現法などを学びとっていました。そして、何よりも同地の希にみるほどすぐれたオーケストラは、彼に大きな驚きを与えたといわれています。
折しもル・グロから交響曲の作曲依頼を受けたモーツァルトは、マンハイム楽派の様式にフランス的な表現法を織り込みながら、当時としては大規模な交響曲を作曲することとなり、ここに彼の交響曲の新しい一歩が踏み出されました。
第一の特徴はクラリネットを初めて採用したことで、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トラペット各2本の完全な2管編成をとっていることです。随所に管楽器の協奏的効果がみられるのは、マンハイムで活躍していた管楽器の名手たちから啓発されたものだと思われます。
完成後、6月18日に初演され大成功を収めたと記録されています。
ここでご紹介する第1楽章は全楽器のユニゾンで華々しく堂々と始まり、当時の聴衆への配慮がうかがえます。

交響曲 第31番 ニ長調 K.297(300a)/第1楽章 Allegro Allegro


photo:ラムサール条約登録湿地 佐潟(新潟市西蒲区)
余談
この時期にモーツァルトは父宛に長い手紙を送っています。その中でこの曲に関して次のように書いています。

それは聖体節〔1778年6月18日〕に演奏されて、大いに喝采を受けました。聞くところでは、『ヨーロッパ通信』にも、その記事が出ていたそうです。・・・・〔途中略〕・・・・・
あくる日は、・・・・〔途中略〕・・・・最初のアレグロのまん中に、これはきっと受けると思っていたパッサージュが一つあったのですが、はたして聴衆は一斉に熱狂してしまいました。そして拍手大喝采です。でもぼくは、書いている時から、それがどんな効果を生むかを知っていたので、それを最後にもう一度出しておきました。・・・・ 」

この内容から察すると、聴衆は曲の途中で拍手喝采していたようです。
今で言うと人気ロックバンドのノリノリのコンサートの様相だったのかも知れません。

現代では考えにくいですが、こんなコンサートがあっても楽しいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿